2章 友達と幼なじみ
屋上は五階で、私たちの学年は四階。私と鈴実は走って教室に向かった。
私は1Aで、鈴実は1D。でも待ってよ、確か次の授業は……社会!
私が席についてから数秒、授業開始を知らせるチャイムが鳴り始めた。
「間に合った……」
「お、五時間目は社会だからってさぼるのかと思ってたぜ」
この声は……確かに私は社会の授業は苦手だしよくわかんないから話とか説明聞いてたら寝そうになるよ、でもね。
「何よ、私がいつ社会の授業をさぼったって? 靖」
「前に社会が二時間あった日は休んでただろ。今日も五、六時間目が社会だからさぼるかと思ってな」
「え。それホント? やだ……ってそうじゃなくて!」
靖は笑って言うけど、その時はインフルエンザで一週間寝込んだんだよ、私は。
高熱で咳もひどいし、起きてたら頭痛が痛かったんだから。寝てもうなされたし!
「あのときはインフルエンザだったの、そんな状態で来たら皆にうつるよ!」
「そうだったかー?」
からかうような笑いがこもった声がした。わかってるくせに。
「清海も靖も喧嘩しない。もう先生が来てるわよ」
後ろから美紀が口ゲンカにストップをかけた。私と靖はその一言に動きが止まった。
社会の先生って、あの説教の長い雨水先生? もしかしなくても、出張には行ってたり、しない?
夏休み明けで、いつもよりぼけっとしやすい私でも忘れられなかった、あの!?
始業式の時に転勤してくれるかな、なんて思ってたのにそうならなかったのだけは眠かった始業式の中でも覚えてる。
「……美紀、説教漬けにする気じゃないよね?」
顔から血の気がひくってのはこんな感じの事をいうんじゃないかな。顔から一気に体温が抜けたよ、その一言で。
靖と私は多分同じ顔を今してるんだろうなー。だって、あの事があるもん。
「そんなわけないでしょ。だから教えてあげたんじゃない」
雨水先生はまだ教室に入ってはないからこっちには気づいてない。
良かったー、席が後側で。前側だったら今頃十分は最低かかる説教を受けてたよ、絶対に。その時の事は考えずにいたいから、言わない。
あの先生、授業中は静かな声で話すのに説教になると一転して、時々心臓に悪い声を出すんだもん。
しかも問答無用。誤解ですのごの字も言わせてくれない。
私と靖は一学期の最初の社会で延々と続くような説教を受けてこの先生の前では何があっても目立つ事はしないようにと決めた。
「良かった、気づかれてない」
「ひーっ、気づかれたら説教くらう所だったぜ」
あの先生がいる前では口喧嘩の多い私と靖も戦闘は一時停止、何があっても黙っている。
暗黙の了解、というのにそれが二番目か三番目くらいにある。一番は雨水先生が近づいてくるのを目撃したらお互いに知らせること。
社会の授業、特に雨水先生がいるか近くに場合は何よりも、たとえ喧嘩まっただ中であっても一番と二番は守らなきゃいけない。
それくらいに、あの時の説教は思い出すだけでも嫌になるし二度と受けたくなかった。
でも、代わりに前側の席の男子三人が雨水先生に叱られていた。やた、これで授業開始が最低でも十分遅くなる。
自分が受けないなら授業の時間が五十分のとこが四十分になるからいいや。
極端な時間だから叱ってる間、自習をやれとも言われないし。
最高は二十五分、C組の珠梨だったかな。岬が笑いながら言ってたけど。
ここからは声を小さくしてしゃべる事になる。それと、お互い相手の顔を見ないで。
「ケンカは休みの間にしてよ。靖がいつもちょっかいを出して、それで怒られるんだから」
「……ああ」
「うん」
余計な事を言ったらまた喧嘩する火種になるから私も靖も美紀の言葉に頷くだけ。
授業を受けていてやっぱり眠くなった。私は地理より歴史のほうが良いよ。横をちらりと見ると、靖がウトウトしていて危なかった。
「靖、雨水先生」
私が小声で注意すると、靖は雨水先生という単語でがばっと起きた。ひぃぃぃっ、気づかれるよ。
起きるときはあくまでもゆっくりと! でないとわざわざ忠告してあげた意味がないでしょバカッ。
『キーンコーンカーンコーン』
六時間目の終了をつげるチャイムが鳴った。なんか、ちょっと視界が……くらくらする。
頭が重い。委員長の号令で椅子から立ち上がって礼をして。声は少ししか出なかった。
雨水先生が教室から出ていったのを見届けると、教室中からため息が上がった。
「終った……ね、靖。今日は」
「俺が……清海に起こされたのが五回、清海が俺に起こされたのが、五回」
「引き分け……? でも靖、戸田に起こされてたよ。だったら私の」
靖が後ろの席の戸田に起こされて、回数は確か三回。
「いや……清海は吉敷に起こされたろ?」
そういえば私も沙代に起こされたね。それは……確か、三回。
「そう、だったね」
やっぱり起こされたのは同じ回数。
「また引き分けだぁ――」
も、限界。勝敗より大きかったのは疲労感で、強いて勝者をあげるなら雨水先生。
いつものように一人勝ち。先生達の中でも、一学期と変わらず首位独走中。
『バタッ』
ぐったり。雨水先生に地理で完全にノックアウトされちゃったよ。数学では眠気がまったく来ないのに、社会だと眠くなるんだよね。
数学の大上先生は大きな声で授業をするから誰も眠くならないんだけど。この先生は一番最後を走ってる。
その方が嬉しいんだけどね、生徒側としては。大上先生が社会を教えてくれてたなら眠気は来ないのに。
「二人とも授業中よく眠らなかったわね。こっちもやりがいがあったってものよ」
美紀の痛烈な指摘。うわー、それってすごく嫌味。そうだよ、ギリギリだったよ!
おかげで本格的に寝入ることはなかったし。授業中怒られないで済みましたとも。
やっぱり二時間も社会をやってると嫌いな科目じゃなくても疲れるんだろうなぁ。
地理が嫌いな私は、五時間もしていた気がした。歴史ならまだ平気なのに。
「でも、清海」
美紀の言葉を、私の前にいる沙代がふり返って続けた。
「ノートをちゃんと取ったか?」
うわぁ。美紀と沙代が今は鬼に思える。あれだけの猛攻も二人はノーダメージなの?
言葉は思いつけども、あまりの疲労感に声は出せない。うつ伏せた者同士の目線が重なった。
あ、靖もそう思う? だよねー、あり得ないよねこの二人の防御率の高さは。
うん? エーティから結界を発生させてるからだって? えー、エーティって何のことなの。
あー、あのアニメ? いや、私はゲームの話題には明るいと思うけどアニメは興味ないんだもん。
うん。そうだよ、靖のとこだって同じ理由でしょ。
うちは妹たちがテレビを占領してるから、私にチャンネルの選択権なんてないんだもん。
え、いや別にビデオはいいよ貸してくれなくて。
「おい、愚民ども。何をアイコンタクトで会話を成立させてるんだ。さっぱりわからん」
「んー。そうねえ……ゲームからアニメの話に変わってたみたいよ。いつのまにか」
え、なんでわかるの美紀。読唇術者ならぬ読眼術者だったりしたの、もしかして。
いや、もしそうだったとしてもさして驚かないけどね。ほら、靖だって同意の目つきをした。
「アレに脈絡あったのか。ってかさ美紀、愚民発言に対するフォローはないのか。お前らも」
「別に。この状況じゃあ、否定のしようもないでしょう」
私と靖はコクコクと机の上で首を小刻みに揺らして沙代にもわかるように会話していく。
「なんかもう、疲れちゃった」
「おぅ。今すぐにも寝てぇ」
教科書とノートをようやくしまった靖が机に沈みながら私の言葉に反応した。
これくらいのことは別にアイコンタクトで伝達できるけど。
じっと見つめあってると他の人からしたら仲の良いカップルに見えるらしいから。
疲れてるときは無駄な体力を使わないで良いからするけど、それ以外のときはしないことにしてる。
だって、別に嫌いあうほどでもないけど彼氏彼女っていうような関係じゃないし。
私も靖も、クラスの皆にそんな仲だとは誤解されたくない。
「いいんだよ、無理しなくて」
「お前もなー」
お互いに社会地理、悪夢の二時間耐久に耐え抜いた後で、自然と相手を労る言葉がでた。
ごつん、と遂に机へ頭を打つ音が上がった。勿論、それは私と靖の分。
社会の地理アッパーにノックアウトさせられてから数分後。私と靖は同時にうつぶせていた顔をのっそりとあげた。
タイミングがよく合うあたりは幼なじみ、っていうか隣の家だしね、はは。よくある事なんだよね、これ。
昔から息が合いやすくて、だから男女混合の種目ではいつも組まされて。
小学生の頃は毎年、二人三脚でコンビを組まされて運動会で一位を取ってた。
「三時間も授業があったみたいだ……」
靖の呻きに、私も同調した。この後のことはどうでも良いから寝たい。図書室で寝たい、すっごく。
「やっぱり、疲れるわね。二時間続きじゃ」
さすがの美紀でも二時間続きの地理は疲れたらしい。そうだよねー、普通そうだよね!
「うん……」
「そうかぁ? あたしは何ともない」
沙代は始まる前と変わらない顔で言ってのけるけどさ。このクラスじゃ今そんな顔しているのは美紀と沙代をいれても十人もいないよ。
「……お前は最強だ、色んな意味で」
うん、靖に同感。沙代って耐久性があるよね。どういう環境で育ってきたんだか。
「ああ? あたしが最凶だと?」
あー、沙代の言葉が悪くなってきてる。私のお母さんも若い頃はこんな風に喋ってたらしいけど、想像つかないや。
靖は沙代の攻撃を避けるため、教室から逃げた。別に逃げなくても。ん? 最強じゃなくて最凶って言ってたのかな。
それが私には通じなくても沙代にはしっかり通じちゃったか。言葉にしたほうが聞き間違いとかも起こるから面倒だなあ。
やっぱり目で話すほうが楽だ、うん。
結局、雨水先生に連れ戻された靖は沙代からビンタの代わりに後頭部を二回叩かれた。
「いってー」
後頭部をさすりながらも靖は軽口を言うのを堪えた。
また言ったら、次は肩に一発力を込めて叩くのがわかるから。でも避けられないんだよね、素早いから。
「そうかぁ? これでも手加減しているんだがな」
沙代はあっけらかんとそう言う。その瞬間、沙代以外の人間は同じ考えをしたと思う。
あれで? あんなに痛いのが手加減してると……嘘だ!
特に、よく沙代に叩かれる男子。クラスの皆の頭の中に沙代最強説が浮上した。二度目の。
私がそれから気力を取り戻して帰る時間になった頃に鈴実が来た。
「清海、帰るわよ」
「うん」
鈴実と一緒に下校しようと歩いていると、校門の門柱の上にレックとカシスが座っていた。
小声で話しかけるまでもなく、二人は私たちに気づくとふわりと浮いて鈴実の肩に腰を落ち着けて開口一番に、
どうして突然こんな事になったのかそれを訊いて良いのは私の家についてからだと言った。
家に帰るとちょうどお母さんはいなかった。買い物かな? 冷蔵庫の中を見たら牛乳と麦茶しか飲み物がなかった。
お母さんとお父さんがよく飲んでるリンゴジュースがない。
お父さんも、まだ帰ってないみたい。確か今日は受注がたくさんあるから遅くなるって言ってたかな、昨日。
ガラス細工の仕事一つでやっていけるんだからすごいよね、と冷蔵庫の戸を閉めながら思った。
冷静に考えてみると、お父さんって実はすごい職人なのかも。
ダイニングから出ると、レックとカシスは玄関にいた。
玄関の靴箱の上に飾られてるガラス細工を見て、レックが何も入ってない筒瓶に出たり入ったりをしていた。
うん、もーかれこれ十分はそうしているんじゃないのかな。私が靴を脱ぐのと同時にお父さんの創作品に気づいて目を輝かせていたから。
悪魔の興味をひくものを作ったということで、すごいのかな。それが収入と直結するとは全く思えないけど。
でも、悪魔が黒い羽根をぴっちり限界ギリギリまで閉じて遊んでいるのはすごく、おかしい。
レックは、私が自分の部屋で着替え終わったことにも気付かずにいた。
それに私が二人を横切ってダイニングで飲み物を探してることにも気付かいていなかった。
そんなに夢中になれるものかな、ガラスって。
鈴実も一度自分の家に帰ってから私の家に来て、同じようにレックの行動に驚いた。
カシスはレックを咎めるけど、その動きを止めるのには時間がかかっていた。
力づくでいうこと聞かせたりはしないから。レックは悪魔っぽくてカシスは天使っぽい行動するけど、二人の仲は良いみたい。
でも、それならどうして私と鈴実があんな事になっちゃったの?
悪魔が悪さをしていてそれを倒さなきゃならないって話はよくあると思うけど。私は一体、なにに巻き込まれたんだろう?
そんなことくらいしか考えれなかった。小さな二人のやりとりを見てると。
私と鈴実は私の部屋でレックとカシスに明夜って人や二人の世界についての説明を受けた。
「最初に言っておく。俺たちはこの世界に属してない存在だ」
あ、そうなの? じゃあ、悪魔と天使が対立してるっていうのはこの世界じゃ今もそうってこと?
少なくとも二人はこの世界に属してない……って、待ってよ。それって!
「つまり、私たちはあなた達から見れば異世界、そこから来たの」
カシスは普通にそう言うけど……異世界なんてホントにあるの? 信じにくい話だよ。
「世界っていうのはな、同時にいくつも存在していて、なおかつ隣りあっている。時間の流れは違ったりするけどな」
「私たちはちゃんとそれを知っている。広い世界や小さい世界、たくさんの時代があっていろんな種族の生物がいるわ」
レックが、そう言った。カシスがその後の言葉を繋いだ。
「そしてたくさんの世界は繋がっている」
二人は同時に同じ言葉を言った。天使と悪魔、対極の存在がそういうなんて考えてもなかったなー。
しかも話の内容が社会とか国のレベルを超えていて、理解できる範囲を出過ぎでよくわからないし。
世界なんてさっぱり。想像もつかない。どうやってつければ良いの、それ?
「どうして世界は繋がっているのよ?」
「それはわからない、誰も知らないし解明することはできない」
鈴実が訊くと、レックはそう答えた。そんなものなの? 神様でも、知らないことってある?
「神様でもそうなの?」
「ええ」
天使であるカシスでさえも、そうだと答えた。ということは、なんだろう。うーん、神様なんてよく知らないし。
世界のことはなんでも知っていてどんなことでも出来るんじゃないの?
「けれど世界が繋がっていれば厄災が動くの」
厄災が動く。そう言われたところで意味がわかんないよ? 動くものなの、それ。生き物みたいな言い方だけど。
「それって具体的に言ったらどんなこと?」
「異世界の魔物が世界の接点を通って別の世界へ。魔物は何かを襲うもの、手当たりしだいに手にかけるの」
あ、それならわかりやすいかも知れない。今朝、私と鈴実を襲ったのは異世界の魔物だったんだ。
だって幽霊じゃなかったらそれしかないよね。幽霊は襲ってくるのだけじゃないし。
「それを防ぐ為に俺達はいるようなもんだ」
「悪魔が防ぐの? え、信じられない」
私はそう言ってしまった。悪魔って人に悪さばっかりしてるから悪魔って呼ばれるんだよ?
悪魔じゃないよ、それじゃ。詐欺に近いんじゃないかな。
「世界の接点は消すことが出来ないの。だから、門を作って封じている」
門? 何もないはずの空にそんなものが見えたらびっくりするだろうなぁ。飛行機と衝突しそう。危ないよね、それ。
「それで、封じるのは力が高い奴の役目なんだ」
「私たちの世界では王族が人間の中ではもっとも魔力が高いの。だから王族が大体の門を封じている」
わー。びっくり発言だなあ。王族、っていったら王宮でふんぞりかえっているようなのしかイメージないのに。
「神様が封印してるんじゃないの? 人がやっちゃって良いんだ」
「俺たちの世界のシステムじゃ神とかそういったのは手出しできないんだよ」
「じゃ、あなた達は出来るの? さっき、防ぐためにいるようなものって言っていたけど」
鈴実が疑問を口にした。うん、私もそれが気になる。
「そうだよね。話が矛盾してきてない?」
「あー、なんでかは知らないが出来るな。俺たちの世界じゃ力の高い奴が門を封じる、って言っただろ?」
「そして私たちと同等、もしくはそれ以上の力を持ちうるのが王族なの」
あ、なるほどね。王族が天使とか悪魔より強い力を持つことってアリなんだ。
でも神様は手出しできない、と。だから力が強い人がいたら任せる。適材適所、ってことだね。
「それと、俺たちがこの世界に来た理由をまだ言ってなかったな」
あ、そういえば。それに私と鈴実を襲ったのが何かはわかったけど。
どうしてそうなるようになったかがまだわからないんだよね。だって、昨日までは平穏無事だったのに。
「ある一つの門を、封じきれなくなった」
「それをまた閉じるためにあなたたちを探していたの」
……へ。なんだかよくわからないよ? 話の要点はどこにあったの、今までの二人の言葉に。
「数年前までは確かに封じられていたんだが」
「門を封じる役目が明夜って方に移り変わってから、時々異変が起きるようになって」
「このままじゃやばくなる、そう判断を下した明夜様に遣わされてやって来た」
「力を貸して欲しいの。あなたたちの前世、その魂は明夜様の母方のもの。魔力もしっかり受け継がれているわ」
──思考回路が停止しました。復旧までしばらくお待ちください──
ピー、という着信音の後にメッセージを残してください。ただいま、私の精神は留守です。
「えーっと……ごめん、いきなり話が自分のことに急接近してきて、正直わかんなくなった」
「右に同じ」
神話が突然、日常に結びつけられて私と鈴実は何とも考えられなくなった。
二人に謝って何秒も経過してから同時に叫んでようやく、思考機能が動き始めた。
「大丈夫? いきなり叫んだりしていたけど」
カシスが不安そうな顔をして私と鈴実の顔を覗きこむ。レックはひたすらに笑ってる。
「清海が? ちょっと待ちなさいよ、あんたら清海になにをさせる気なの!?」
鈴実が珍しく取り乱した。あれ、でもさっきからこの二人、あなたたちって言わなかった?
「清海ちゃんだけじゃないよ。鈴実ちゃんもそう」
「え……あたし、もなの?」
言葉で言うと簡単だけど、つまりそれは鈴実と私は同じ魂を持っているってことですね。
つまり、つまるところ、つまれば。うー、社会の地理でギブアップの私にはとても整理しきれない。
どうしてそんなことに? ツーカーの仲には前世からの繋がりがあったとでも?
「清海には空、鈴実には霊の色の魔力がある。魂が分裂した時それぞれの掟に分かれたらしい。そりゃあもう綺麗にスッパリと」
レックが何の事はないように言った。ちょっとちょっと、色とか掟って。新出単語だよ。
「色、っていうのは掟って意味だよ。掟に則って魔法を使ったりはしなかった?」
えーっと、掟=色。あ、頭をよぎった言葉には入ってた。そういうこと、なのかな?
「覚醒した後は掟に則った魔法が使いやすいって言われているんだけど」
「……あー、あったよ。多分そうだと思う」
「魂と魔力は五つに分かれた。魂の共鳴が起きているから、他の三人も近くにいるはずだ」
え。待ってよ、あと三人もいるの? 言おうとした言葉、それはすぐにドアの開く音によって消えた。
開けたのは、お母さんでもなければお父さんでもなくて、妹たちでもなくて。
「おい清海、あの小さいのってなんだったんだ」
「私も見たのよね。校門で浮いていたでしょう?」
「うん、浮いてた。でもみんなは気にしてなかったよ。どうしてかなあ」
ドアの先には学生服姿のままの靖と美紀、それに今日は全然遇わなかったレリまで。
「え。三人とも、この二人が見えるの?」
帰ってくる途中で天使とか悪魔は普通の人間には見えない、って二人がそう言っていたのに。
三人には、目の前にいる小さなこの二人が見えてるの? だったら、それは。
「そうだけど」
三人とも口を揃えてそう言った。ということは、まさかそんな安直にも?
「ラッキー♪ もう探す必要がなくなった」
「うん、良かった。でも呆気なかったよね。今日で全員見つかるなんて。今までの苦労は何だったのかしら」
うっそおーっ!? この三人も、私と同じことができるの? 美紀とレリはともかく、靖が?
靖はウィザードって柄じゃないよ、絶対。剣の道一筋な剣士タイプだよ!
「しっかし、何で皆は気づかないんだろうな?」
靖たちは首を傾げた。うわー、ホントにわかってないんだ。美紀までお手上げだなんて。
「これからよろしくなー。おれはレックだ」
「私はカシスだよ。ね、レック。みんな揃ったし、この際やっちゃう?」
「ん、そうだな。避けてたらいざってときに博打を打つハメになる」
「天使と悪魔で賭博? 何のこと」
私たち五人の声がハモリをみせた。というか、三人とも順応力が良すぎじゃないの?
「もう一回言うのは面倒だな。全部、頭に叩き込んでやる。そこから動くなよ」
「いっ!?」
痛い痛い痛い頭が刺されるみたいに痛い! 私達は頭を押さえた。痛みが止まらない。
でも頭に直接、二人の言いたいことが伝わった。この痛みは頭に魔法で情報が入ってくるからなの?
「わかった? 靖くんは大地、レリちゃんは海、美紀ちゃんは召喚の色が宿っているの。でも、清海ちゃん以外はまだ魔法は使えない」
「ええ。だから、魔法が使えるようにするのね」
「うん。問題ないな? じゃ、始めるぞ」
二人はまた唱え始めた。するとすぐにみんなが消えた。
なんで、って思う間にも二人はまだ何か唱えていて。時計を気にしながら、詠唱をきいているとそれは半時間にも及んだ。
詠唱が止まったなー、って思ったらみんな戻ってきた。
んー。私だけ取り残されてたっぽいのは、もう魔法が使える状態だったからなのかな。
外からなにか壊れる音がした。ガラスの音じゃないよね。外に重いもの出していたかな、今日。
うちが発信源であることは確かだろうから、そんなことを咄嗟に頭は考えた。
「清海、外をみて!」
鈴実に言われて窓から下を見てみると外にはカエルがたくさんいた。
「うっわ。冬眠するにはまだかなり早いのに」
「んー。そもそも、畑一つ近くにない住宅街にカエルは生息してないはずよね」
こんな時でも美紀は冷静だった。
ぴょんぴょん跳ねる有象無象の動きにもピクリと眉も動かさずにいられるなんて最早、賞状授与モノだよ。
あり得ないくらいの落ち着きっぷり。
私や鈴実だって、一体何百匹いるのかと気を遠くしそうな光景なのに。
だって、道路までカエルの色だよ。異常、異常事態としか言えない。
普通、カエルはこの町にはいないはずなのに。さっき美紀が口にしたとおり。
「げ、か……かか、かかかか……カエル」
「ま、ままさかのかかかかカエルか。すっげ俺いま天界に帰りてえ」
レックと靖の顔が真っ青にになった。ん、もしかしてレックもカエルが嫌いなの?
靖も昔からなんでか嫌いだけど。まあ、この際はそんな疑問はほったらかしにしておこう。
非常事態だろうしね、他人の嗜好なんて気にしてられないよ、多分今はそんな状況。
カエルの異常大発生がどれくらい生態系に影響するのかわからないから、推測で危険警報を出しておくよ。
主に自分の半径三メートルくらいに。イナゴなら県を挙げて出すべきだね。
窓を開けて屋根の上に昇った。辺り一面を見渡すと道路や庭は緑づくし。あんまり、良い景色じゃない。
靖は今にもよろけて倒れそう。悪夢が再現されたって目は雄弁に語ってる。
まあ、それを正確に読み取れたのは私と美紀だけみたいだけど。
レックは自分のことに精一杯で靖への共感も起こしてる暇はないみたいだよ。
「あれは増殖ガエル! 皆、魔法を。ほら、早く!」
「あ、ああ」
靖はもう放心状態に近い。もー、このカエル恐怖症さんは!
呆れつつも、頭に言葉が浮かんだから私は唱えた。相変わらずよくわかんないけど。
でも、これって風の魔法じゃないような気がするよ? さすがに、この言い回しは。
「風勢は縦軸に、恒霊は横軸に。先に後にと相反する我らは、願いを交え乞う!」
しかも、カシスいわく掟に則った魔法ですらないんだけど……って、え。もう一人?
「時の神よ、歯車を止めよ!」
さっきまで飛び跳ねまくっていたカエルの動きがピタリと止まった。でもさっき……鈴実が私と全く同じ言葉を唱えた。
なんだったの? 私と鈴実が顔を合わせても、このときばかりは、どうにもならなかった。
だってお互いになにが起こったのか理解できてないんだもん。疑問符のキャッチボールじゃ仕方ないよ。
「双人魔法……二人が一緒に詠唱することで初めてできるそれを、合図もなしに?」
カシスはそう呟いた。 別に私たちに言うようなものじゃなくて独りごとで、だけど。
そんなに驚くことだったのかな。異口同音くらい、長年一緒にいれば割とあるのに。
「そう。とにかく、今のうちに策を練らないとね。いつまで持つかわからないし」
うーん、でも風の魔法だと切り裂いてグロくなりそうでイヤだなあ。
「靖、大丈夫なの?」
いつの間にやら靖は放心状態から抜けていた。でも両眼は閉じている。見なければ大丈夫、ってことかな。
「火神よ、燃え尽きることなき力で色を破るものに業火の炎を与えよ!」
大地って炎の事も含むの? 地震とかを起こすだけだと思ってた。
私が感心している間に炎が動けないカエルを焼き焦がした。卑怯くさいなあ、同情は……しないけど。ごめん。
ところで、カエルがどんどん減ってくのは良いんだけど、でも庭の芝までも燃えてるよ!
「ここ、私の家なんだけど。靖ってばー」
「燃やされてもまだ一匹残ってるよ! あれが親玉?」
私の抗議を割いてレリの鋭い声が響いた。残ってるって、あの炎の中でも平気なのがいるの? まさか。
レリの見ている先には赤斑の、しかも大きなカエルがいた。しかも置物サイズ。背中に丸くて白いものがある。
あれってまさか卵?
「それってどんな……」
「駄目! 靖は絶っ対に見たら駄目!」
靖が目を開けようとした。でも、怖いものみたさでカエルを見ちゃったら靖は気絶しちゃうってば!
私とレリは同じことを叫びながら靖には見えないように両手で目隠しをした。
さすがにあれの背中はカエル嫌いでなくても、ぞっとするよ。
そんなのをカエル恐怖症持ちが見たら卒倒するかもしれない。ここ、屋根上だから。
二階から落ちたら打ち所が悪かったら死んじゃうよ! そんなのは見たくない。
「あいつを倒さないとまた増える。分裂して増殖の繰り返しで増えて動くものにひっついて、増殖して攻撃……ううっ」
レックは自分で説明しながら口を覆った。両目は間違っても正視しないように、カシスが抑えていた。
「鳥よ!」
「美紀ちゃん、無意味よ!」
美紀がカラスに向かって叫んだ。え、それで来ちゃうの? 呪文なの、それ。
カラスが嘴でカエルの体に突き刺さった。あんなのでカラスが美紀の言うことを聞いた?
カエルはびくともしていない。先に倒れたのはカラスだった。
「もしかして、表面に毒を持ってる?」
レリがそう呟いた。体格の勝ってるカラスがあっさり倒れるなんて。
「あのカエルは何なの? 弱点はないの」
「レリちゃんの言う通り毒ガエルよ。確か、弱点は水。水を掛けられると死ぬわ」
「……。……それは、生き物としてどうなのかしら」
鈴実がぼそりと率直な感想を漏らした。カエルじゃないよ。両生類ですらないと思う。ああっ!
カシスが説明してる間にもまだ庭の芝が燃えていく。
家にまで燃え広がっちゃうよ、私の家が焼失したらどうしてくれるの!? 放火って重罪なんだよ知ってた、靖!?
じーっと、靖にだけは通じる無言の文句を飛ばしても目を開いてなきゃ意味はなかった。
「だったら……うん。天の河に流れる星々よ、水となれ! 振りそそげ!」
『バシャ!』
空から一気にたくさんの水が落ちてきて、毒カエルに降り注がれた。
雨とは違って、タライの水が一瞬で一八〇度回転して水がかかったような感じ。
目の前は透明な水壁に覆われた。視覚だけじゃなくて、聴覚も水流で塞がれたようなもので。
川のせせらぎ、なんて耳に優しいものじゃない。叫ばないと自分だって何を言ってるのかわからないくらい。
これだけ豪快な放流で炎が消えないわけがないだろうけど、でも今度はギシギシと屋根が水圧に不吉な音を立てる。
滝のような爆音に紛れてうっすらっていうのが怖い。
「わー、レリ待って待って! うちが壊れるから、もう止めて!」
「あー。ごめん、どこに蛇口あるのか検討もつかないから無理! だれか代わりに捻って!」
「こんなときにジョークはいらないよ!」
「えっへ。ごめーん、あ。清海! 手を緩めないで靖が!」
「あ、うん。ちょっと靖、自力で堪えてよ。私たちだって自分のことで手いっぱいなんだよ!」
もう。でも、これは一体どこから?
二階建ての一番高い所でもその水がどこから流れているのか見えないくらい高い場所からの落流みたいだけど。
たまたま、全員とも日差しの下にいたから被害を被らずに済んだ。
こうしてレリと二人で靖を支えてる状況じゃ少しも油断なんてできないけどね。
上からの水圧で足場が揺れてるんだよ、今、かなり。
瀑布にも似た轟音が遠くなっていくと共に水のカーテンが端からすっと開いていく。
「あ。植木鉢の破片みっけ」
「あららー。三個くらいは見事に木っ端微塵ね」
「もしかして、あれだったのかな。物が落ちた音」
「そうかも」
何も入ってなかったみたいだから、これは今週の週末にお母さんが苗の植え替えをしようと買ってきた分だ。
あれくらいなら私のお小遣いでどうにか買えそうかな。
「ま、ともかく、これで全滅だね!」
レリがそう締めくくって、私とレリは靖に目隠しをしていた手を退けた。
「清海、早く降りろよ。誰かに見つかるだろ。またイタズラやってんのかってどやされるぞ」
靖は、カエルがいなくなった途端に元気になった。さっきまで私とレリがいなきゃ立つのが精々だったくせに。
でも確かに、そろそろいつお母さんが帰ってきてもおかしくなさそう。
こんなところを見られたら怒られるよ、ガミガミと三分くらい。短いのが唯一の救いだけど。
部屋に戻った時、外を見ると空はもう暗くなっていた。でも、空には星が見つからない。
月はもう高いところにまで出ているのに。
さっきのレリの魔法のせい? いやまさか、ね。
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